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達磨大師板碑
少林禄寺とは、恐らく達磨が面壁九年したと伝えられる中国五岳の一つ河南省嵩山少林寺の末寺かと思われる。碑銘にある人物については不明である。北渡の途上葦に乗って渡河したと云うこの達磨の故事は、禅宗で好んで詠まれ、また描かれる題材であるが、専問家筋の説ではこの漢詩は特に秀れたものではない。 しかし、この点がかえって石碑の真正性を間接的に裏付けていると云えよう。

この碑の近くの小高い場所に古い鐘楼が立っている。小泉氏がかって奈良から移設したものである。この鐘楼は、徳川時代前期京都近在三条村「瓦屋吉右門」により建立、東山天皇代元禄十六年(1703)亥年五月吉日奉納されたと記録にある。なお、梵鐘そのものは戦後に造られたものである。
この「日独友好親善之鐘」は
美しい世界は感謝の心から
昭和三十四年七月 山岡孫吉
の銘が示す通り、日独交流に尽された故山岡孫吉氏が日独友好を念じて寄贈されたものである。鐘には更に
DIE TÖNE VERHALLEN,
ABER DIE HARMONIE
BLEIBT GOETHE
と文豪ゲーテの言葉が並んでいる。

尚、この鐘の図並に鋳作監督は、比叡山延暦寺、成田山新勝寺の梵鐘、奈良法隆寺金堂常夜燈などの製作で知られる重要無形文化財保持者香取正彦氏によるもので、富山県高岡市の老子製作所(老子次ヱ門氏)に於て鋳造された。
ドイツ大使館は、前述のように明治5年に麻布より麹町区永田町−国会議事堂の隣り現国立国会図書館所在地−に移転したが、終戦間際の昭和20年5月25日から26日にかけての空襲によって破壊されてしまった。
戦後7年の空白期間を経て日独の国交が再開され、ドイツ連邦共和国が最初に大使館を開設した場所は奇しくも再び麻布であった。昭和27年から35年迄麻布東鳥居坂 (現六本木5丁目)に置かれていた大使館は、その後まず大使公邸が昭和32年に、次いで35年初夏に大使館事務所がこの様な歴史をもった現在の南麻布に完成し今日に至っている。この二つの建物は地続きで、南側の庭園が中心的な位置を占めるよう配されている。因に、この庭は昭和30年代の中頃造園家として海外にも広く名の知られた故飯田十基氏の設計・監督により今日の形に改修されたものである。
この間、日独関係の長足の発展と相俟って、多くの内外の人々をここに迎えてきた。この庭は日独交流の場と化し、遠来の客には日本の歴史や文化を知り、また庭園の美の一端に触れる契機ともなっている。
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